西畑大吾くんと関西Jr.の楽曲

こんにちは!24時間テレビの松島くん顔がかわいすぎてキーチェーンマスコットにしたいし絶対着れないから買わないつもりでいたピンクチャリT欲しくなったしTDC連れてってほしい



オタクです!

本エントリは2018年8月のMidnight Devil初見時から湧き出たまま止むことのない気持ちを、せめて千秋楽日までにどこかへアウトプットして1%でも楽になりて〜〜〜〜という主旨の壁打ちブログです。

文字通りなので、見て思ったまま書いてます。ただの1西畑担の目線から、主観純度100な記憶だけを頼りにした文章を連ねていくので、MD括りに痼りがあるタイプの方が万が一これを開いてしまっていたら即記憶から消して閉じてくださ〜い!


私は、この夏Midnight Devilに選ばれたこの5人の括りに救われて、アイドルファンの楽しさを久しぶりに思い出せたような気がしています。5人を見ている時間が心から幸せで、ただひたすらに穏やかでした。



導入

この夏の大阪松竹座公演では、新曲を続けて3つお披露目という、現体制始まって以来のサプライズがありました。

異例だったのは、この3曲の取り扱い。
『メインメンバーにソロパート割り振りがあり、(主に)サビを出演関西Jr.全員もしくはマイク所持全メンバーで歌唱(という体裁をとっていた)』のような、関西Jr.総無所属状態故に数年パターン化していた関西Jr.オリジナル曲の披露方法ではなく、西畑藤原大橋正門小島大西高橋道枝長尾佐野室向井5名、5名、2名のみがマイクを持つ演出
でそれぞれ1曲ずつ披露された『名義上は関西ジャニーズJr.』、の曲であるということです。


Midnight Devil、SUPER ROCKET*1には所謂バックポジションの関西Jr.も参加してステージ上でダンスをしますが、マイクを持っているのも、サビで歌声が流れているのもほぼおそらく上に記名したメンバーのみです。


つまり、あくまで今夏の松竹座公演期間においてのMidnight Devilは、先述した5人で歌うことを前提として与えられた新曲、と私は解釈しました。



西畑くんを応援して、いろんな姿を見て、いろんな形での活躍を喜んで。応援を始めた頃からは理想どころか想像すら追いつかなかったステージまで関西ジャニーズJr.として登りつめてきた西畑くんに対して殆ど微かに、でも確実に心臓の真裏の部分でぐちゃぐちゃになるまで隠し持っていた切望のような何かが一気に具現化されてパッと目の前に提供された瞬間でした。


西畑大吾くんとオリジナル楽曲

  • ユニット所属時代〜WESTデビュー

西畑くんは2011年4月3日の公開オーディションで1部→2部を生き残り入所となった通称11年組の関西Jr.です。
(ここからは主観私感いっぱい混ざるので、次の項まで読み飛ばしてもらって問題ないです)


同期の他4名と間も無く結成されたAぇ少年として、一瞬で松竹座入り。当時は関西にもユニットが沢山あって、ちょっと曖昧な線引きの発生なんかもまあ茶飯事で。

同期フレジュ5人で括られた西畑くんは、わたしにとっては割としっかりAぇ少年の大きい子、ってイメージがあった。Aぇ少年時代の西畑くんを松竹座で生で見ていないので、具体的な表現は出来ないんですが…。自他共に認める、ビジュアルまんまのふわんふわんした空気感と、年長者(一応正門くんの方が生まれ先ですが、同学年なので)として楽屋の整頓を呼びかけるなど集団生活においてある程度律しようという生真面目さ、は既に垣間見えていた時期です。

そこから2012年夏の少年たち。ここからは激動の数年間ですね。ナニワ王子とかなにわ皇子とかはもう一旦置いとくとして、とにかく同年秋のまいど!ジャ〜ニィ〜放送開始です。もうこれ無しに西畑くんのJr.史は一切語れない。


まだまだ比較的層の厚かった当時の関西Jr.から、入所3ヶ月の小学5年生を含めた6名*2に与えられたTVレギュラー。スタジオ収録、歌コーナー有り。

これ以降西畑くんは、というよりなにわ皇子ともう1つのグループは、春夏冬の松竹座公演だけでなくまいジャニコンサートという劇場サイズの箱*3自分達6人がメインとなるコンサートを2回に渡って経験することになりました。

これが本っっっ当に大きなターニングポイントになったと思う(し本人も近年になって何度か言及してる)んですが、このまいジャニコンサートの1度目と2度目の間、それこそがわたしの西畑担としてのメンタル強化シーズン1でした。*4


まずはユニット最年少、入所1年目の大西流星くんのドラマ抜擢。
これはもう純粋に驚いていたらあっという間にかわいい流星が1人で東京へ乗り込み・撮影・生死確認メール送り合い・VS嵐出演(西畑担的特大仕事)etc...を経て、関西Jr.全国ツアーで途中合流!というスーパースターもびっくりドドドド快進撃を繰り広げていました。
いつかのテレファンのめちゃかん連載が永瀬西畑ペア、その向かって隣ページがスターマンの大西インタビューで、関西最年少ユニットが月刊テレビ誌の見開きを飾るみたいなあまりにもキラキラしすぎてる展開に本屋で立ち眩みしながら何冊か掴んだのを鮮明に思い出します。

そして西畑くんはこのタイミング以降*5よりハッキリと演技仕事への言及をするようになった(そしてユニットの2人,特に大西流星くんへの愛情が芽生え始めた)イメージです。


2つ目はやっぱり2013ANOTHER。春のコントとはガラッと変わった、今まで観ることのできなかった西畑くんの表情、本領、芝居への姿勢と遂に出会えた夏でした。
なにわ皇子としては出演も当然松竹座公演のみ。当時16,14,12歳のユニット。

それでも、日生公演メンバーがレギュラーで回していたジュニスポ*6を代替として初めてユニット3人で任されたのがあの夏。同級生ふたりが東京生活を送る9月の1ヶ月間、西畑くんが何も得られなかった訳ではなくて。
日生稽古や他局レギュラーで慌ただしかったペアユニットの先輩をvol.2リハで極力サポートしたり、れんくんと流星が年齢制限で帰らざるを得ない時間まで残ったり。


わたしはこの時期のなにわ皇子の姿を眺めながら、報われるどうこうの次元じゃなくて、せっかくこんな年齢もビジュアルもバラバラで、でも原石としてジャニーズ人生のスタートダッシュからいっぱい前に引っ張られ推し上げられた3人にこそぴったりな、3人だけの何かが欲しくてたまらなかったです。

散々ビジネス言われましたがあのとき3人が3人なりの絆とやさしさで結ばれていたのは絶対に本物だったと思っています。知人の関西担には「ビジネス仲良し込みでなにわちゃんは最強に可愛いんだよ〜」と当時ヘラヘラしてたんですけど、内心お互い信頼し合っとる!あの若さで既に!めちゃめちゃ格好ええやろが!とシャウトしていました。ユニットとして応援するの、とても幸せで楽しかったんです。なにわ皇子



だからこそ私は、たったひとつのあの衣装がどうしても特別で大切で1番きらきらしてみえて忘れられないのかもしれません。そんな宝物が完全に西畑くんの手を離れた16の春はさめざめと泣いてしまうことに抗えませんでした。ジャニーズとしての活動を見守る以上こればかりはどうしようもない、仕方ないことだと分かってます



  • 総無所時代〜

それから、14あけおめのステージをもって『なにわ皇子』の名と共に3人が舞台へ出てくることはぱったり無くなりました。

あまりの察しろ、なコンサート構成から漂う関西改編の空気に覚悟を決めて(これが西畑くんにとって皇子括り最後のステージとなるだろう、と予測を立てた上で)見届けた3人のドンセクと、次の春に真っ白な衣装で新曲を踊る大西畑。その2人の目の前、1列目にはピンクの劇中衣装を着て踊る廉くん。なくなる前から大切に大切にし過ぎてしまっていた担当の過去の居場所を、切り替えてハイ次次!ネクストステージ!とは出来ねえなと悟った、そしてやはりジャニーズJr.の、ましてやユニットに所属するようなメンバーを本気で応援するには自分は愛着心が強すぎて不可能だなあと思い知らされた苦い春でした。

そんな春松竹期間直後に運良く参加できた番協で、各ユニット名口上が無くなりショータイム衣装もバラバラがデフォルトとなった3人をぼんやり眺めていたら

スタジオ隅っこでぎゅっと団子状態(皇子あるある距離感バグ)のまま、セットのド真ん中で一発ギャグを繰り広げている大晴、のモノマネをお互いだけに披露し合ってはケラケラ笑っていた永瀬西畑大西の光景がいろんな意味で死ぬまで忘れられそうになくて。あーやっぱり、というか当然なんだけど、あんだけ同じ時間共有しといてバッサリ即解散!適度な距離!とかするタイプの子たちじゃないし、今の3人もこれまでの3人の延長上でしかない、好きだからこそ知ってたのにな〜〜……ってその姿を見たことでまたグルグル春の反省会を始めてました。心底気持ちの悪いオタクだ………。

あとは廉と大吾でBrother最初のアレめっちゃ練習してた。なんッッッでやねん。それはもう普通にしんどすぎて帰り道そこそこ泣きました



ジャニーズWESTというグループが7名でのデビューを正式に果たした2014年春から先の新生関西Jr.(という表現に一応します)および西畑大吾くんを取り巻く環境は、簡潔な言葉を借りれば個人戦、に尽きます。



そしてここでやっと本題。
ハピラキ、Brother、シユアゲ、ドリキャ、おみハピ、BIO、SHINE ON、関アイ、Happy、た〜〜〜っくさんのオリジナル楽曲を新生関西Jr.は与えられてきました。初見の印象に差は大きくあれど、今は1つ1つ全てに思い出が詰まっていて、大事な曲です。
そんな各楽曲と西畑大吾くんについて。2014年春からメインメンバーの移り変わりが更にあった2015年夏の関西Jr.では、劇中歌またはショータイム楽曲の歌い出し・大サビ・台詞等の歌詞が西畑くんのソロになっている頻度が、あからさまに、一気に増えました。


入所から3年間ユニットに所属、松竹座公演も殆ど毎シーズン出演、2ユニット合同メインのホールコンサートも複数回経験、デビュー組のPVバック撮影で遥々大阪から東京へ呼ばれジャケット撮影にも参加、何よりも2012年10月からずーーーーっとレギュラーとして関西Jr.のTV番組に出演し続けてきた、関西ジャニーズJr.の西畑大吾くん。
所謂推されと評されるような彼のファンになってから私は2014年9月のEndless SHOCK大阪公演までまともなソロの歌唱音声を聞けた記憶がないんですけど、そんな西畑担にとって貴重で記念すべき公演になったSHOCK大阪・博多のステージから1年も経たない2015年の8月に、〝西畑大吾〟としてのソロパートの供給が鹿威しから滝のようになったんですよね。
明らかに西畑くんは、あの夏をもってして関西Jr.を託されたんだと今現在も確信して言い切れます。2015少年たち松竹座公演初日の『俺たちは上等』、今でも群を抜いて鮮やかな記憶のままです。あの日の瞳と声と立ち姿、ファンを続ける限り忘れることは無い、出来ない。あの日までのアイドル西畑大吾をステージに独自の華を添える、彩りを加える存在というニュアンスで表現すると、2015夏以降の西畑くんはステージにスポットライトを向けさせる存在、に成ろうとしている気迫の塊のようなものです。


先程上に書いたドリキャ〜Happyまで、西畑くんも他メインメンバーもソロパートがほぼ固定化*7されています。ただし、Jr.に不動の立ち位置など存在しないのは事実で、15春に披露されたシユアゲと今夏セトリ入りしたシユアゲは当然ながら歌割りが別物です。
なので例えば、Dream Catcherが西畑大吾主演の映画主題歌という客観的事実は変わらなくても関西ジャニーズJr.が歌い継いでいくことが念頭に置かれている楽曲であろうというのは、ドリキャ西畑パートが初期と未だ変わりない現状でも推し量れますよね。*8




わたしは、西畑大吾がユニットの中の個として歌うことのできるオリジナルの楽曲が、今与えられたポジションを生きる西畑大吾に与えられたソロの歌詞が心臓から手が出るほど欲しくて欲しくて堪らなかった。数年間ずっと。


Midnight Devilで5人がAメロをソロパートで順番に歌い繋いでいく姿を半分トランス状態で眺めながら、ここになら今の西畑くんが1番アイドルとして羽を伸ばしながら輝ける立ち位置があるのかもしれないと残った半分の頭でぼんやり思いつつ、手元で白く光り続けるペンライトを握りしめるのに精一杯でした。

*1:曲名表記は明日を駆ける少年たち公演パンフレット内のセットリスト表記まま

*2:紫の方は放送3回目?からの出演

*3:2400人収容

*4:シーズン2は2014年3~5月、3は2015年4月 ※かなり個人差があります

*5:永瀬廉くんが信長のシェフに出演したときも勿論言葉にしていましたが

*6:当時のジャニ勉内関西Jr.コーナー

*7:衣装チェンジで必要となれば普通にパート交代はしてる

*8:17クリパ弟組でセトリ入りしたドリキャが大西流星は初期パートそのままに西畑,向井パートをトリオがそれぞれ歌い分けていたので、既にJr.内で継がれてはいる