3月31日という日
3/31、私にとっては何よりもたいせつでだいすきな元相棒の2人が、西畑大吾さんと永瀬廉さんが 共に関西ジャニーズJr.として衣装を纏い松竹座の舞台から客席を見渡してくれた最後の日です。
in大阪でテロップが出るようなメインの顔と名前ならほとんど一致して、行動圏内に大阪松竹座という空間があることも知っていて。それでもなお能動的な興味を特段持たず過ごしていた当時10代の自分が、殆ど衝動のままに関西ジャニーズJr.の担当という世界へ飛び込んだきっかけを与えてくれたのは他でもない西畑大吾さんで
圧倒的な引力で万年デビュー担の自分をJr.担へと導いた15歳前後の西畑くんがそこからの長い青少年時代を捧げることになる関西ジャニーズJr.、およびその本拠地とも言える大阪松竹座を『己を槍に盾に変えても守り抜きたい大切なもの』とすように過程をファン目線で眺めてきました。
その松竹座から新しいステージに進む戦友を何度も 何人も見送ってきたこと
いつの間にか、ではなく明確にある時から松竹座0番を任される機会が増えたこと
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これはもう、ほんとうに、ほんとうに憶測でしかないことなんだけど
西畑大吾くん、なにわ皇子の最年長として過ごした期間の経験があまりにも関西ジャニーズJr.西畑大吾としての人格形成に影響を与えすぎたんじゃないかなと
いうのが常日頃からわたしの頭の中にある或る意味では自分の中の偶像西畑大吾で、そんな勝手な憶測が心から溢れでてしまうような当人の言動に触れてしまった折にはツイッターでぶつぶつ壁に打ってきたのですが
その人格形成期にね、成長真っ盛りというよりほぼ成長済みで、愛嬌というよりのんびりマイペース猫被りキャラで、お目目キラキラ+ちっちゃくて無垢が服着て走り回っているかのような同期フレジュたちにずっと囲まれていた、西畑大吾くん
が、初めて出来た後輩世代でずば抜けたオーラを放っていた5歳下の小学生と、入所から丸1年同じラインで活動していたらまた同じ居場所を与えられた2歳下の同期と、当時のJr.ユニット特有の紆余曲折ありつつ3人でひとつになったこと
そのとき唯一の義務教育修了済メンバーだったこと
結成後ほぼ間髪入れず冠番組を与えられたこと
入所2年目でメインコンサートを経験したこと(ここではオリックスとF公演を指しました)
2人の隣で関西Jr.の先輩のデビューを見届けたこと
デビューした先輩たちに松竹座を託されたこと、託されたときにはもう横並びでは居られなかったこと
アイドルとして生きる道を何度も人知れず選び続けて今日に至る西畑大吾さん 関西ジャニーズJr.として育ってきた彼が、
その育ての親と呼べる『関西ジャニーズJr.というひとつの母体』へ向ける深くて重くて他のだれとも(共有はできても)この先決して等しくなることはない感情は
上に羅列した、いやこれだけでは足りないけれど、あのころの経験ひとつひとつから熟成され濃縮されてきた魂そのものなんじゃないかなーと。
西畑くんが2019年現在も永瀬廉くん、大西流星くんへ向ける明らかな〝特別〟を隠さない眼差しは西畑くんが2人と共に過ごした時期にジャニーズとしての人格をつくりあげていったと仮定すると至極当然のように思ってしまいます。
※この☝︎想定に関して、2019年新春にめでたく20歳の誕生日を迎えた永瀬廉さんへのお祝いコメント中、唐突に、大西流星さんが成人する未来の話を始めてしまった西畑大吾さんがほとんどアンサーしてくれたようなもののため議論は特に不要そうです※
だからこそ、4年前の今日も西畑くんは
ジャニーズを卒業することを決めていた同級生との別れを惜しみ、舞台上ですらぽろぽろと涙を零しながら
心のどこかで もしくは本人へ直接宛てた言葉として
春から居住地を東京へ移し、完全に関西の肩書きを外してジャニーズJr.となる永瀬廉くんへもちゃんと丁寧にはなむけを送っていたんだろうなと
当時と今の西畑くんを何度もみつめてみつめなおした上で私はそう推察せざるを得ません。
ほんのすこし前の某日 もとい8/7の松竹座で、あの子を前にしてボロボロとめどなく零れ続けていた西畑くんの涙も私は決して忘れることはできないです あの光景こそが、今の西畑くんなりの関西Jr.生活で築きあげていった愛情の送り先そのものだと物語っていたので。
1番前に名前が記された夏を迎えて冬、春、夏、冬、春、夏、冬、春、夏、冬、
きっと彼は今日もたまらないほどの愛情と誰にも曲げられない最早譲れる大きさですらないプライドを心臓に抱えたまま
関西ジャニーズJr.として生きる道を進み続けているんだと思います。
ここ大阪松竹座で